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2012年2月
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2010年09月05日

興南 夏の甲子園 悲願の優勝

この瞬間をどんなに待ちわびたことか…。興南 夏の甲子園 悲願の優勝
準々決勝までは仕事で観戦することのできなかった今年の夏の甲子園。
早々と仕事を切り上げて、自宅のテレビの前で、一人胸を熱くしていました。

約一年ぶりに帰省した沖縄では、町のあちこちで、優勝を祝う横断幕や垂れ幕が目に留まりました。

今春に続き、沖縄をわたった優勝旗。
そのときの飛行機の中では、機長によるアナウンスまで特別に放送されたそうです。
  興南 夏の甲子園 悲願の優勝
そんなことをきくだけで、鳥肌がたってしまいました。
那覇空港ではナインを一目見ようと、史上初の5000名の人々が押し寄せたようです。
連日の報道にもナインは疲れをみせず、喜びの表情をみせてくれました。
興南 夏の甲子園 悲願の優勝
高校野球は、監督の指示どおりに動くのがフツーの考えだとききますが、興南は部員一人一人が考えて、自分たちの野球を展開していたそうです。

沖縄の高校野球は、他県のように、どこか強いチームが抜きんでて強いわけではなく、これまで、沖縄水産、豊見城、糸満、那覇商業、那覇、八重山など、県内広くいろんな学校が、ダークホースのようにして、県代表をめざしてがんばってきました。

ある意味、県全域の野球に影響し、全体の底上げにつながったといえるでしょう。

あるテレビ局が興南高校を取り上げたドキュメンタリーがあったそうです。
体育系部活にありがちな、先輩後輩によって、仕事を分けるような仕組みは興南にはなく、むしろ、一人一人が責任をもって、自分の役割をこなさなければならないのに、島袋投手がある日、その約束を破ってしまうことに。

それからというもの、約1カ月近くも、監督は、島袋投手にボールを握らせることはなかったといいます。
いくら春の甲子園で優勝投手になったからといって、特別扱いはさせないわけです。

大所帯をかかえる部員は、チームにために何ができるかと、自分で考えてその練習の時間を過ごすのだそうです。それこそ、ずっと掃除ばかりを進んで行う部員もいたときいて驚きました。

そんな裏方をささえる仲間、感謝と信頼を分かち合える仲間がいたからこそ、あれだけ大差で引き離されても、明るいあの表情で、絶対勝てるという強い信念で、逆転勝ちできる信念と粘り強さが生まれたのでしょう。

優勝旗をつかんだことは確かにものすごく喜ばしいことかもしれないけれど、
これまでつみ重ねてきた練習は勿論のこと、監督の元で、人として磨き上げてきた裏話を聞けば聞くほど、こんな高校生たちがいたのだと、心から感銘を受けました。


基地問題など暗い話題の多い沖縄で、彼らのような高校生がいることで、大人の私たちは目からウロコもさることながら、沖縄の未来を託せる若者がいることに、誇りと安堵感を覚えました。

感動をありがとう!

沖縄タイムス スライドショー
日本高等学校野球連盟
日本学生野球協会


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Posted by しまあそび at 03:42 │Comments(2)甲子園
この記事へのコメント
興南高校の春夏連覇おめでとう
我が県内の高校が優勝したのと同じくらいの感動。いやそれ以上かもしれない。
同じ血がながれているのかもしれないな。
私も準決勝・決勝戦はトイレもがまんして見ていました。
最初の試合からの溌剌としたナインの姿、先に点をとられても動揺しない姿は遣り残しのないくらい練習などに頑張った自信の表れなのだろうと、優勝を予感した。
大げさだけど、我が県内優勝以上の感動ありがとう。

ゆかりさんに一つお訊ねがあります。
前月のDEI.DEIの史跡めぐりのとき、赤木名の「モレンがま」を見て、貴女が沖縄の「ウタキ」と似ていると話された事思い出しました。
質問は、今は、沖縄のセーファーウタキの中(奥)に男性も入れますか?、
入れるようになっていたら、一度訪ねて行って、おなりパワーを貰ってきたい。
それと久高島にも一度行きたい。
ゆかりさんに引率してもらい、DEI.DEIの皆といっしょに沖縄の「ウタキ」めぐりなどできたらいいな。
奄美にも神高い所と言われる場所があるので、沖縄の「ウタキ」のように整備して
一般の方誰でも祈りに行けるように出来たらいいな。
同じ考えの人居ないのかな、それとも沖縄の方のように
信心深くないのだろうか。心の中に隠れているだけと思うが。

      KYより
Posted by 感動しました at 2010年09月05日 11:23
kyさん、
それぐらい目が離せない試合でしたよねー(@@)その時間の名瀬は車も人も通っていなかったので、テレビの前の熱気を間接的に感じていました(笑)血が騒ぐのはまさに島根性の血が騒いでいるんだと思います~♪
そうそう、モレンガマは斎場御獄(セーファーウタキ)を思わせる造りでした。あれがもっと山の頂とか高い所にあるともっと近くなるかな~。セーファーは以前は入れたけど、世界遺産登録後、入域制限をかけているかどうかはわかりませんので、わかったらお知らせしますね~。恩納村への相互交流も残っているし、ぜひ沖縄巡見も実現させたいですね!
Posted by しまあそびしまあそび at 2010年09月05日 11:44
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