5月30日夜9時30分、最終上映の映画「沖縄」の画面には「終」の文字。
場内は拍手喝さいがやみませんでした。
翌日から解体に入るシネマパニック。
最後の雄姿は、あたたかい皆さんの目に焼きついたことでしょう。
おかげをもちまして、観覧者人数は、目標の250人を突破しました!!!
ご来場、どうも本当にありがとうございました~!!!
前売券を買ってくださったのに、ご来場できなかった方々、本当に残念でした。
まずはこの場を借りまして、お礼を申し上げます。
40年まえのフィルムなので、字幕が画面からはみ出して見づらかったり、途中、フィルムが切れて中断するハプニングも起こりましたが、皆さん静かに復活するのを待って下さいました。
観覧した方の反応です。
・とても見応えがあった。
・昔の風景が懐かしかった。
・子どもの頃に住んでいた家で撮影があったと親から聞いていたが観ていてわかった。
・演習の場面を観ていて、徳之島もああいう風になったら大変だと思った。
・沖縄の人たちの受けた苦しみ、悲しみ、無念さ、映画をどうして伝わってきた。
・運動を続けていくことは大切。
・長編だけど構成がしっかりしていて全くつかれなかった。
・当時、徳之島の面縄の砂浜で撮影し、映画も観たけれど、構成がしっかりしていて、今みても全く見劣りしない。
・切符を売った仲間同志で今度映画の合評会をする。
・自分もこれと同じ行動をしてきた。
・徳之島でもぜひ上映会をしてほしい。
・目をまっかに腫らし、涙涙涙・・。
・隣の人が、撮影協力者で解説つきで面白かった。
・沖縄の基地の実態を知らずに過ごしてきた。演習の怖さを知った。
などなど。
遅い時間まで受付やフィルムをまわしてくださった映画館スタッフの皆さん、
かつてのスタッフで、途中フィルムトラブルを対処してくださり、おいしいサンドイッチおにぎりを手配してくだった西さん、
港町児童館で託児をしてくださった保育士の方、いっぱい映画を宣伝してくださった皆さん、本当にありがとうございます。
現場を取り仕切り、切符や金銭統括をしてくださった新日本婦人の会奄美支部長の荒田さんや恵さんをはじめ、会員の皆さん、本当に本当に毎日、毎日、切符やチラシをもってかけまわり、お疲れ様でした。
基地問題は、一人一人が行動で示すことでしか、変わらないと思います。
それぞれの思いをぜひ周りの方へ伝えてください。
ちなみに、この映画はVHSでも販売されています。
制作当時、日教組がバックアップしたので、教育委員会などに納められた経緯があるそうです。
なので、皆さんのお住まいの教育センターや図書館なども探したら眠っているかもしれませんよ。
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話すたびに、1時間でも2時間でも熱く語るシネマパニック社長の川上さん。
この街に映画の灯を残すには、あまりにも一般の足は遠いものでした。
これまで「もっと身近」で、「私たちの映画館」には、できませんでした。
外から要求するばかりではなく、中に入って変えてみようと試み、1年間はアルバイトでかかわることもありました。
ロードショーにこだわりつづけたシネマパニックでしたが、
数か月もすれば、レンタルビデオで見ることのできるような映画を、
一本100万、200万円支払って流し続けることは、あまりにも痛手でした。
配給会社に支払われるフィルム料も、6割、ものによっては7割ももっていかれる始末。
やればやるほど赤字。。。
それでも何とか映画館としての体裁を保ちつつ、体質改善をはかるために、スタッフも総力をあげて、行政とのタイアップを図ろうと動いたこともありましたが、合意に至ることはありませんでした。
映画愛好家で新たに組織を募る案も出ていましたが、そのときはすでに力尽きた状態だったのです。
もっと1度でも2度でも足を運んでおけばよかった。
そう思う方は一体何人この島にいるでしょうか。
鹿児島市天文館の三越跡地にこの春オープンした、マルヤガーデンズ7階にできたガーデンズシネマに足を運びました。
館をもたない映画愛好家たちが、日ごろ、定期的に集会場を借りて、出張上映会をやりながら、細々と会を運営していたそうです。
その活動を認めたマルヤガーデンズがシアター設備を整え、彼らを迎えたのです。
常勤職員は一人、あとはアルバイトとボランティアで毎日4回の上映枠をキープしています。
ロードショーは流せませんが、細々とリバイバル上映を行っています。
大手映画会社の制作する映画ばかりではなく、もっといい映画を映画館の大スクリーンで観たかった。
そのどちらもできたら、とっても素敵。
映画の好みは人それぞれですが、映画館を支えるのはそこに住んでいる人であるということを、このシネマパニックの閉館
は物語っています。
この島に映画館はあったけれど、コミュニティシネマはなかったような気がします。
またいつか新たにコミュニティシネマとして生まれ変わった映画館へ足を運べる日を待ち望んでいます。