民放と黙とう放送、そして奄美でも慰霊の日黙とうを願う

しまあそび

2009年08月10日 15:00

 ある年の6月23日の正午、黙とうを告げるサイレンが、テレビや生のサイレン放送とともに、那覇の首里城にもどこからともなく響き渡った。
 ふり返ると、ちょうど昼食へ出ようとする上司が、ふと向こうを向いたまま立ち止まり、軽く頭を下げ、静かに黙とうをしていた。
 私の目の前にいたお客様は物々しい雰囲気に、少し驚いた表情で改札口を入ってきた。今日が沖縄慰霊の日で、学校や役場もこの日は休日で、県下一斉に鎮魂の祈りを捧げ、平和を願う日であることを説明すると、納得した様子でそのまま首里城正殿を前に進み入った。

 今年も鎮魂の8月がやってきた。
 8月6日8時15分、広島原爆の日を告げるアナウンスとサイレンを告げる防災放送が近くの消防署から流れてきた。わたしは洗濯物を干す手を休めて黙とうをする。長崎原爆投下の8月9日11時にも同じく、遠くからサイレンが響き渡った。
 どれだけの地域で放送されているのか分からないが、しばし鎮魂の祈りを捧げる貴重な時間となる。

 NHK放送にチャンネルを合わせれば、サイレンを合図で各地の慰霊式典で黙とうを捧げる中継とともにその時間を共有できる。
 しかし8月は夏休み期間であるために、とくに子供たちは各家庭や個人で過ごすことになり、放送のない地域だと、知らずとやり過ごしてしまうことが多いかもしれないと改めて感じた。
 とくに夏休みに入る前の6月23日の慰霊の日までに、沖縄戦と戦争について徹底的に学ぶ沖縄の環境と、雲泥の差があるのではないかと危惧している。

 そこで民放放送でも、ほんの1分でもよいので、黙とうをする時間を設けることで、唯一の被爆国としてこれらの日を位置づけてもよいのではと思う。
 わたしの住む名瀬では、沖縄慰霊の日のサイレンは流れない。
 奄美大島のすぐ南に位置する徳之島には、6月23日に自決した牛島満中将率いる沖縄守備隊に属していた奄美群島守備隊の本部がかつてあった。そして、同じ米軍統治下時代を味わった奄美群島の人々も、沖縄慰霊の日には、黙とうを捧げる時間をもってもよいと願わずにはいられない。

 広島原爆の日と同じ8月6日、沖縄で最大級の米軍による事故伊江島波止場事件を報道で知った。まだまだ知らずに掘り起こせていない足元に残る戦争の傷跡は多い。
 平和を願う気持ちは、隣人の痛みに寄りそう気持ちからしか、生まれない。
 
 ※伊江島波止場事件→http://www.qab.co.jp/news/2009080511048.html

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