10・20奄美豪雨その5 被災者の恐怖体験

しまあそび

2010年11月01日 02:12

2010/10/20に発生した奄美大島の大規模水害に関する情報をまとめたWikiのアドレスです。
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昨日と今日の2日間は、住用町へボランティア作業に行ってきました。
台風もすっかり明けたというのに、国道にはまだ水が噴き出している所がいくつも残っていました。
とくに城トンネルの住用側は、道路を横断するように川の水があふれて、川の道になっていて、実質片道通行になっていました。
山はえぐられ、痛々しい姿になっています。

町の中は、消毒の臭いで充満していました。

昨日は新ふじんのみんなで西仲間集落に入り、私は沖縄の小禄出身Kさん宅へお手伝いにあがりました。
そこには、福岡の職場を1週間休んで帰ってきたという那覇高出身の娘さんも駆けつけていらっしゃいました。
ご兄妹みんな那覇高出身で、うちもそうだといっていって盛り上がりました。
ちなみに中学校は小禄中だそうです!
ついでに、Kさんはお子さんの小学校から中学校のPTAで、赤嶺政賢さん
とずっと一緒に活動していただったそうです!
家の中は引っ越しを終えたようにガランドウでした。
泥につかった家財道具はほとんど昨日、処分したのだそうです。

梁の上の写真や額、ハンガーの服、そして小さな棚に所せましと並べられていたお子さんらの結婚記念写真が、所々まだ泥がついたままで、本当に胸が痛みました。

通行に時間制限のある道路もあり、午後4時には作業を切り上げなければならないので、おしゃべりもほどほどに、早速、消毒液で床拭きを始めました。
壁板は水を含んでめくれ上がり、押し入れの扉にはすでに白いカビが浮き出てきていました。
泥水の水位を示す跡なのでしょう。
別棟のアルミサッシのガラスは、水流で打ち破られていました。
あちこちにその爪痕が残っていました。


Kさんは、当時の恐怖を語ってくれました。

どうも川の様子がおかしい。
そう思っているうちに、家の中へどんどん水が流れこんできました。
自分の身長を超すほどの水が、ものの数分の間に流れ込んだのです。
危険を察し、とにかくボストンバックには位牌とタオルだけ投げ込みました。
庭で飼っている犬の首輪がなかなか外れません。
「おまえは泳げないから先に早く逃げろ」
という夫の声に押され、Kさんは頭の中が真っ白になりました。
外を見ると、一面が川。
家の塀まで水没していました。
その塀をつたって、Kさんはどうにか家を脱出します。
ふとそばを見ると、必死でポチも犬かき。
夫は逃げる途中、塀から足を踏み外して挫いてしました。
まさに命からがら、逃げてきたわけです。
誰が自分の家で溺れそうになると予想できるでしょうか。

「もう一度あんな水が来たら、もう、ここを出て行くよ」
と、はき捨てるように言ったKさんの言葉が、胸を突き刺しました。

今日は、鹿児島大学の教授や国土交通を交えた調査団が来島したようです。
またこのような災害が起こる危険性があるというコメントがあったようです。
こんな経験は誰だって二度としたくありません。
次に生かせる災害予防対策を県や国をあげて万全にしてほしいものです。

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