与論の旧盆と独居の親を思う
旧盆で与論島へ帰りました。
日ごろは手抜きの食事ばかり作っている私ですが、正月と盆だけは、気持ちが改まりますね。
迎え盆の22日、中日23日、送り盆の24日には、毎日、ご先祖様へ一人ずつお供えします。
与論の盆は、新鮮な魚を供える習慣があるので、スーパーにもとりわけ近海魚が並びます。
夫はそれを理由に、ひと月も前からその準備に余念がありませんでした。^^
腰を痛めた義母は、これまでにない辛さのようでした。
近くに子どもが一人でもいれば、牛飼いも手伝えるのですが、皆、旅に出ている(島を出ている)状況では、通うのが精いっぱいです。
義父が倒れ、昨年亡くなり、それでも義母が一人で牛飼いができたのは、周囲の人の温かい手助けがあったおかげです。
一声かければ、機械で牧草を刈って下さったり、車で運搬してくださったりと、義母ができないことを手伝ってくださっています。
ベットから起き上がるのに、ゆっくり5分くらいはかかってしまう状態なので、このまま一人置いて帰ってきたのに、後ろ髪をひかれる思いがしました。
今100歳以上の高齢者の所在不問題が騒がれていますが、一体どれだけの人が、遠く離れた親の元へ通っていることでしょうか。
子どもに迷惑がかかるから電話も入れられないとか、何年も親元へ帰らず、顔も見ていないなど、とても心が痛みますが、そうせざるを得ない感覚に、戸惑いを覚えます。
現代は、親元から遠く離れて暮らす社会にまだ慣れていないといいます。
陸地続きでさえそうなのですから、離島ではなおさら、ハンディを伴います。
仕事の休みをやりくりして、遠くに暮らす親元へ通うことに対して、もっと理解を示す社会であってほしいと思います。
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