この瞬間をどんなに待ちわびたことか…。
準々決勝までは仕事で観戦することのできなかった今年の夏の甲子園。
早々と仕事を切り上げて、自宅のテレビの前で、一人胸を熱くしていました。
約一年ぶりに帰省した沖縄では、町のあちこちで、優勝を祝う横断幕や垂れ幕が目に留まりました。
今春に続き、沖縄をわたった優勝旗。
そのときの飛行機の中では、機長によるアナウンスまで特別に放送されたそうです。
そんなことをきくだけで、鳥肌がたってしまいました。
那覇空港ではナインを一目見ようと、史上初の5000名の人々が押し寄せたようです。
連日の報道にもナインは疲れをみせず、喜びの表情をみせてくれました。
高校野球は、監督の指示どおりに動くのがフツーの考えだとききますが、興南は部員一人一人が考えて、自分たちの野球を展開していたそうです。
沖縄の高校野球は、他県のように、どこか強いチームが抜きんでて強いわけではなく、これまで、沖縄水産、豊見城、糸満、那覇商業、那覇、八重山など、県内広くいろんな学校が、ダークホースのようにして、県代表をめざしてがんばってきました。
ある意味、県全域の野球に影響し、全体の底上げにつながったといえるでしょう。
あるテレビ局が興南高校を取り上げたドキュメンタリーがあったそうです。
体育系部活にありがちな、先輩後輩によって、仕事を分けるような仕組みは興南にはなく、むしろ、一人一人が責任をもって、自分の役割をこなさなければならないのに、島袋投手がある日、その約束を破ってしまうことに。
それからというもの、約1カ月近くも、監督は、島袋投手にボールを握らせることはなかったといいます。
いくら春の甲子園で優勝投手になったからといって、特別扱いはさせないわけです。
大所帯をかかえる部員は、チームにために何ができるかと、自分で考えてその練習の時間を過ごすのだそうです。それこそ、ずっと掃除ばかりを進んで行う部員もいたときいて驚きました。
そんな裏方をささえる仲間、感謝と信頼を分かち合える仲間がいたからこそ、あれだけ大差で引き離されても、明るいあの表情で、絶対勝てるという強い信念で、逆転勝ちできる信念と粘り強さが生まれたのでしょう。
優勝旗をつかんだことは確かにものすごく喜ばしいことかもしれないけれど、
これまでつみ重ねてきた練習は勿論のこと、監督の元で、人として磨き上げてきた裏話を聞けば聞くほど、こんな高校生たちがいたのだと、心から感銘を受けました。
基地問題など暗い話題の多い沖縄で、彼らのような高校生がいることで、大人の私たちは目からウロコもさることながら、沖縄の未来を託せる若者がいることに、誇りと安堵感を覚えました。
感動をありがとう!
沖縄タイムス スライドショー
日本高等学校野球連盟
日本学生野球協会