いもーれ アモーレ めんそーれー! おいしいから愛おしい
2010年01月06日
新しい家族
今日から我が家にやって来た子たち。思ったより落ち着いているので安心です。
昨年から目をつけていたのですが、生後6ヶ月とかなり月齢が経っているので、餌づけは難しいかなぁ。
まあ、気長にやりますか。
名前なんにしよか…。
やっぱ、チョビ?(爆)
2010年01月03日
フェリーでの帰省

明日から仕事初めなので、今日で与論を引き上げました。混雑を予想して一般の2等大広間を避けて洋室を予約していたのは正解でした。
マリックスライン(株)が鹿児島~沖縄間を運航する新造船クイーンコーラルプラスですが、500円増しでゆっくり休めるのは助かります。
同区間を運航する船会社に大島運輸があります。
奄美大島から沖縄へ帰省するのにこの航路を使うと、朝6時に出て夜8時に那覇着となり1日つぶれてしまうし疲れるので、与論までは行けても、よほどのことがない限りほとんど使いません。
東京~沖縄間を運航するマルエーフェリー(株)のフェリーありあけが、名瀬を夜9時前に出て、那覇に翌朝8時に着くのでよく利用します。
しかし昨年11月、座礁事故を起こし解体を待つことになってしまい、利用客の一人として非常にショックでした。
同社の大阪~沖縄間のフェリー琉球エキスプレスを使うにしても、夜行便は鹿児島行きのように毎晩ないのに、ますます少なくなってしまいました。
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2010年01月02日
与論のおせち

与論の義母が作った野菜をふんだんに使い、昨日はお節を料理しました。畑と料理の写真は別のカメラで撮ったので後ほどアップするとして、
写真上は野菜の一部
写真下はすっかり大きくなった拾い猫たち。
2010年01月01日
今年もよろしくお願いします


今年も与論に帰省しています。先祖の月命日を神棚にまつるパチが、昨年新たに増えました。
昨年1月73才でなくなった与論の義父のパチです。
沖縄島を最も近くで見渡せるわが家の墓掃除を、昨日行いました。
香炉に入れた浜砂には、星砂がたくさん交じっていました。
海の星が天に上り、群星となって私達を見守って下さいね。
庭にまく砂利や石を拾いに浜へ下りてみると、琉球青石の淡いブルーが白いサンゴ石に映えてとても美しく、夢中で拾い集めました。
偶然目にした2009年最後の夕日です。
命の終焉と儚さを感じた1年で、それは同時に新たな鼓動の始まりでもあると…。
身をもって行なった島の食の影響実験の成果は明らかでしたー。
旅の話題は、新婚旅行以来の海外旅行で初めての韓国へ。
縁あってある結婚式に出席しました。
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2009年08月19日
樟南も初戦ならず。。。
鹿児島県の樟南高校、残念。
初戦突破ならず。
沖縄も鹿児島も今年は九州勢に初戦をはばかられてしまった。
それも大会初日と最後の日。
全国の地方バランスをみているのか、今年から抽選の方法が変わっているようで、早々と九州勢との対戦となっている。
こりゃー近いうちに、鹿児島県と沖縄県の対決が見られるかも。
楽しみ。
さぁ、九州勢頑張れ!
初戦突破ならず。
沖縄も鹿児島も今年は九州勢に初戦をはばかられてしまった。
それも大会初日と最後の日。
全国の地方バランスをみているのか、今年から抽選の方法が変わっているようで、早々と九州勢との対戦となっている。
こりゃー近いうちに、鹿児島県と沖縄県の対決が見られるかも。
楽しみ。
さぁ、九州勢頑張れ!
2009年08月16日
鎮魂の祈りに包まれて~黙とう放送聴きましたか?~
清明祭で足を運ぶのは、糸満市摩文仁(まぶに)の平和記念公園でした。
両親祖母叔父叔らとともに、それは先祖を拝むという行為のなかに、あえて戦争でくなった祖父らを拝むという思いがありました。
お重をもって墓参りをしたあと、公園敷地内にある「平和の礎」に刻まれた祖父の名前を確認するようにそこで手を合わせます。
軍人だった祖父が、航軍基地のあった伊江島のどこで、いつ、どのように亡くなったか分かりません。
6月23日の沖縄慰霊の日が祖父の命日であるかのように祈るのです。
そして8月15日終戦記念日。
不戦の誓いとともに太平洋戦争で亡くなった全ての戦没者へ祈りを捧げます。
命日のわからない戦没者の命日。
この日にはそんな思いもこめられているのかもしれません。

今年はなぜか突き動かされるように、名瀬の戦没者合同慰霊祭へはじめて参加しました。
礼服に身をつつみ、線香ではなく焼香を祭壇にたむける遺族や参列者の姿は、戦後64年たった今でも死者に向き合う生々しさを感じました。
33年忌をむかえたら死者が神様になる島にあって、戦没者は死者のまま。
そんな思いさえ抱いてしまいます。
戦争をふりかえることができるのは、生かされた命がそこにあったから。
死者の魂を鎮められるのは、生かされた者が思いをよせ、祈り続ける、ただそれだけかもしれません。
以下に、慰霊祭でいただいた資料から合同慰霊祭についてメモを記しておきます。
<合同慰霊祭について>
日時:平成21年8月15日(土)午前11:30~0:30
場所:奄美市名瀬公民館大ホール
主催:奄美市名瀬戦没者合同慰霊祭実行委員会 事務局 奄美市名瀬総合支所福祉政策課
実行委員会構成団体:奄美市名瀬英霊顕彰会、奄美市名瀬傷痍軍人会、奄美市名瀬軍人恩給同志会、奄美市名瀬かもめ会、奄美市
<経緯>
・平成10年度までは名瀬市主催による「名瀬市戦没者追悼式」を名瀬中央公民館ホールで実施。
・遺族の方々の死亡・高齢化等により年々参列者が減少。
・平成11年度から奄美群島殉職者合同慰霊塔での合同慰霊祭をおこなう。
・平成17年度から遺族の方々の高齢化により、炎暑のなか慰霊塔までの歩行参拝は困難なため、名瀬市中央公民館ホールで名瀬市戦没者合同慰霊祭を挙行。
・平成18年度より合併のため、奄美市名瀬戦没者合同慰霊祭として奄美市名瀬公民館ホールで慰霊祭を挙行。
<式次第>
1開式、2拝礼、3国歌斉唱、4実行委員長のことば、5追悼のことば(奄美市長)、6ご遺族へのことば(奄美市議会議長)、7焼香(実行委員長、奄美市長、奄美市議会議長、来賓、遺族、一般参列者)、8黙とう(正午のサイレンとともに)、9閉式。
式の途中、正午のサイレンとともに会場で黙とうをしました。
昨日の南海日日新聞には黙とうを促す政府広告がありました。
鹿児島県と沖縄県内の各局に対しての黙とう放送の意見投稿してみましたが結果は以下のとおりです。
この局でで聴いたよ!という方がいらっしゃいましたらお教え願います。
①終戦記念日、②広島長崎原爆投下日、③沖縄慰霊の日のそれぞれ(現状/予定)を記しています。
なお未記入は回答のなかったり、確認できなかった局です。
沖縄県 : 琉球放送(①あり)、沖縄テレビ(①なし/未定、②なし/未定、③あり)、琉球朝日放送、ラジオ沖縄、FM沖縄
鹿児島県 : 南日本放送、鹿児島テレビ、鹿児島放送、鹿児島読売テレビ、奄美FMディウェイヴ(①あり、②あり、③なし/予定)
両親祖母叔父叔らとともに、それは先祖を拝むという行為のなかに、あえて戦争でくなった祖父らを拝むという思いがありました。
お重をもって墓参りをしたあと、公園敷地内にある「平和の礎」に刻まれた祖父の名前を確認するようにそこで手を合わせます。
軍人だった祖父が、航軍基地のあった伊江島のどこで、いつ、どのように亡くなったか分かりません。
6月23日の沖縄慰霊の日が祖父の命日であるかのように祈るのです。
そして8月15日終戦記念日。
不戦の誓いとともに太平洋戦争で亡くなった全ての戦没者へ祈りを捧げます。
命日のわからない戦没者の命日。
この日にはそんな思いもこめられているのかもしれません。
今年はなぜか突き動かされるように、名瀬の戦没者合同慰霊祭へはじめて参加しました。
礼服に身をつつみ、線香ではなく焼香を祭壇にたむける遺族や参列者の姿は、戦後64年たった今でも死者に向き合う生々しさを感じました。
33年忌をむかえたら死者が神様になる島にあって、戦没者は死者のまま。
そんな思いさえ抱いてしまいます。
戦争をふりかえることができるのは、生かされた命がそこにあったから。
死者の魂を鎮められるのは、生かされた者が思いをよせ、祈り続ける、ただそれだけかもしれません。
以下に、慰霊祭でいただいた資料から合同慰霊祭についてメモを記しておきます。
<合同慰霊祭について>
日時:平成21年8月15日(土)午前11:30~0:30
場所:奄美市名瀬公民館大ホール
主催:奄美市名瀬戦没者合同慰霊祭実行委員会 事務局 奄美市名瀬総合支所福祉政策課
実行委員会構成団体:奄美市名瀬英霊顕彰会、奄美市名瀬傷痍軍人会、奄美市名瀬軍人恩給同志会、奄美市名瀬かもめ会、奄美市
<経緯>
・平成10年度までは名瀬市主催による「名瀬市戦没者追悼式」を名瀬中央公民館ホールで実施。
・遺族の方々の死亡・高齢化等により年々参列者が減少。
・平成11年度から奄美群島殉職者合同慰霊塔での合同慰霊祭をおこなう。
・平成17年度から遺族の方々の高齢化により、炎暑のなか慰霊塔までの歩行参拝は困難なため、名瀬市中央公民館ホールで名瀬市戦没者合同慰霊祭を挙行。
・平成18年度より合併のため、奄美市名瀬戦没者合同慰霊祭として奄美市名瀬公民館ホールで慰霊祭を挙行。
<式次第>
1開式、2拝礼、3国歌斉唱、4実行委員長のことば、5追悼のことば(奄美市長)、6ご遺族へのことば(奄美市議会議長)、7焼香(実行委員長、奄美市長、奄美市議会議長、来賓、遺族、一般参列者)、8黙とう(正午のサイレンとともに)、9閉式。
式の途中、正午のサイレンとともに会場で黙とうをしました。
昨日の南海日日新聞には黙とうを促す政府広告がありました。
鹿児島県と沖縄県内の各局に対しての黙とう放送の意見投稿してみましたが結果は以下のとおりです。
この局でで聴いたよ!という方がいらっしゃいましたらお教え願います。
①終戦記念日、②広島長崎原爆投下日、③沖縄慰霊の日のそれぞれ(現状/予定)を記しています。
なお未記入は回答のなかったり、確認できなかった局です。
沖縄県 : 琉球放送(①あり)、沖縄テレビ(①なし/未定、②なし/未定、③あり)、琉球朝日放送、ラジオ沖縄、FM沖縄
鹿児島県 : 南日本放送、鹿児島テレビ、鹿児島放送、鹿児島読売テレビ、奄美FMディウェイヴ(①あり、②あり、③なし/予定)
2009年08月14日
大島紬工程をパレードで披露
奄美まつりの3日
目にパレードがある。
企業や団体が名瀬商店街をパレードしてねり歩き、街中が賑やかになる。
とくに奄美市役所職員らが織りなす「ハブ隊」はいつもパレードの目玉として注目されている。
こちらは今回、ちょっと置いておいて、今年の目玉はちょっと違う。
なんと、紬組合が、大島紬を連に出してきたから驚いた。
大島紬を着て歩く、というならごく普通。
大島紬そのものを、全面アピール。
まずは糊はり。
大島紬の特徴である、先染めに必要な工程。
糸を泥染めする前に糊でおさえ補強する役目となる。
つぎは山、川、田んぼ、を背景に、泥染め。
そして染めあがった糸を織る織り子。
パレードの車に、乗るわ、ひかれるわで、動く実演と化している。
このような舞台には一見似つかわしくないような、地味で静かな伝統工芸が、ほかの派手な、どの連にも負けず劣らずで、堂々とその存在をアピールしている。
これは打って出たなと、感動極まりない。
アッパレ!
奄美の伝統工芸をどう見せるかで新たな風を感じた今年の奄美まつりだったわけであ~る。
企業や団体が名瀬商店街をパレードしてねり歩き、街中が賑やかになる。
とくに奄美市役所職員らが織りなす「ハブ隊」はいつもパレードの目玉として注目されている。
こちらは今回、ちょっと置いておいて、今年の目玉はちょっと違う。
なんと、紬組合が、大島紬を連に出してきたから驚いた。
大島紬を着て歩く、というならごく普通。
大島紬そのものを、全面アピール。
まずは糊はり。
大島紬の特徴である、先染めに必要な工程。
糸を泥染めする前に糊でおさえ補強する役目となる。
つぎは山、川、田んぼ、を背景に、泥染め。
そして染めあがった糸を織る織り子。
パレードの車に、乗るわ、ひかれるわで、動く実演と化している。
このような舞台には一見似つかわしくないような、地味で静かな伝統工芸が、ほかの派手な、どの連にも負けず劣らずで、堂々とその存在をアピールしている。
これは打って出たなと、感動極まりない。
アッパレ!
奄美の伝統工芸をどう見せるかで新たな風を感じた今年の奄美まつりだったわけであ~る。
2009年08月12日
閉校カウントダウン鹿児島県立大島工業高校
今年は皆既日食があったせいもあって、そのデザインをあしらったTシャツを来たチームが勢ぞろい。それを眺めるだけでも、充分楽しめる。
構内でばったり会った懐かしい知人が櫂を漕いだ瞬間、キリリと光る
さて今年の目当ては工業高校。今年の一年生を最後に三年後、閉校が決まっている。舟こぎとパレードに出場することを、学生自ら決めたということが地元新聞にも取り上げられていた。
所定のレーンで待っていると、彼らは颯爽と登場した。揃いのTシャツが黒いせいもあったかもしれない。どことなくドスがきいていたのは、そのヤンキーぽい風貌のせい?
いやいや。
たとえ本番を前に緊張していようが、報道カメラや女性キャスターのマイクを向けられようが、ほんのわずかにはにかんだ表情に残るあどけなさは、やっぱり高校生だ。
いよいよ舟に乗りこみ、緊張が走る。
審判の最後の赤旗が降ろされ、開始を告げる合図で、一斉にしぶきがあがる。
肩を落として退散する彼らに向かって、これまた恰幅のいい顧問らしき男性が声をかける。
「お前たち、負けても、工業高校生として堂々としなさい」
-そうそう。
わたしもうなずき、いつの間にか、そばについて歩いている。
たまりかねて口が出る。
「よく頑張りましたね。工業高校の応援をしに、今日は見に来たんですよ」
彼らの表情がゆるんだ。
この一言を伝えられただけで、満足だった。
卒業をもって、いつかは島を離れていく島の高校生。
島での経験や思い出を胸に、残りの学生生活を過ごして。
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2009年08月11日
オリオンビールと奄美
奄美の島々では、この時期どこも夏祭りでにぎわっている。名瀬での奄美まつりで気になった出来事を少しずつ紹介。
名瀬では、名瀬湾をバックにビールを飲みながら花火で夕涼みというのが夏の風物詩になっている。これまで奄美まつりの幕開けを飾り、「オリオンビアフェスタ」というネーミングで親しまれてきたこの納涼まつりは、今年から奄美商工会議所が中心になって「GOGOパラダイス」と改名した。催しにはくじ引きなども新たに加わり、友人も旅行券があたったと喜んでいた。
沖縄県外で唯一、オリオンビールの営業所を構えている奄美大島ならではの催しだっただけに、オリオンビールが担ってきた時代の移り変わりかもしれないと、ちょっと感傷に浸ってしまった。さらに個人的に今は、少しばかり、禁酒祈願をかけているので、楽しみはあとにとっておくということで…。
でもこのオリオンビールと奄美との関係、実はもうひとつある。
社会人草野球のラジオ沖縄オリオンスーパーベースボール。毎年ここ奄美大島で行われている決勝戦にむけて、甲子園の熱気に負けず劣らずと、沖縄と奄美の各地で今もすでに火花が散っている。甲子園で沖縄と鹿児島の対決はなかなか見れないけど、草野球での沖縄と奄美の対戦ならこっちで観戦できるというわけ。興味のある方はどうぞ。
※ラジオ沖縄オリオンスーパーベースボールのHP→http://www.rokinawa.co.jp/event/baseball/index.html
2009年08月10日
民放と黙とう放送、そして奄美でも慰霊の日黙とうを願う
ある年の6月23日の正午、黙とうを告げるサイレンが、テレビや生のサイレン放送とともに、那覇の首里城にもどこからともなく響き渡った。
ふり返ると、ちょうど昼食へ出ようとする上司が、ふと向こうを向いたまま立ち止まり、軽く頭を下げ、静かに黙とうをしていた。
私の目の前にいたお客様は物々しい雰囲気に、少し驚いた表情で改札口を入ってきた。今日が沖縄慰霊の日で、学校や役場もこの日は休日で、県下一斉に鎮魂の祈りを捧げ、平和を願う日であることを説明すると、納得した様子でそのまま首里城正殿を前に進み入った。
今年も鎮魂の8月がやってきた。
8月6日8時15分、広島原爆の日を告げるアナウンスとサイレンを告げる防災放送が近くの消防署から流れてきた。わたしは洗濯物を干す手を休めて黙とうをする。長崎原爆投下の8月9日11時にも同じく、遠くからサイレンが響き渡った。
どれだけの地域で放送されているのか分からないが、しばし鎮魂の祈りを捧げる貴重な時間となる。
NHK放送にチャンネルを合わせれば、サイレンを合図で各地の慰霊式典で黙とうを捧げる中継とともにその時間を共有できる。
しかし8月は夏休み期間であるために、とくに子供たちは各家庭や個人で過ごすことになり、放送のない地域だと、知らずとやり過ごしてしまうことが多いかもしれないと改めて感じた。
とくに夏休みに入る前の6月23日の慰霊の日までに、沖縄戦と戦争について徹底的に学ぶ沖縄の環境と、雲泥の差があるのではないかと危惧している。
そこで民放放送でも、ほんの1分でもよいので、黙とうをする時間を設けることで、唯一の被爆国としてこれらの日を位置づけてもよいのではと思う。
わたしの住む名瀬では、沖縄慰霊の日のサイレンは流れない。
奄美大島のすぐ南に位置する徳之島には、6月23日に自決した牛島満中将率いる沖縄守備隊に属していた奄美群島守備隊の本部がかつてあった。そして、同じ米軍統治下時代を味わった奄美群島の人々も、沖縄慰霊の日には、黙とうを捧げる時間をもってもよいと願わずにはいられない。
広島原爆の日と同じ8月6日、沖縄で最大級の米軍による事故伊江島波止場事件を報道で知った。まだまだ知らずに掘り起こせていない足元に残る戦争の傷跡は多い。
平和を願う気持ちは、隣人の痛みに寄りそう気持ちからしか、生まれない。
※伊江島波止場事件→http://www.qab.co.jp/news/2009080511048.html
ふり返ると、ちょうど昼食へ出ようとする上司が、ふと向こうを向いたまま立ち止まり、軽く頭を下げ、静かに黙とうをしていた。
私の目の前にいたお客様は物々しい雰囲気に、少し驚いた表情で改札口を入ってきた。今日が沖縄慰霊の日で、学校や役場もこの日は休日で、県下一斉に鎮魂の祈りを捧げ、平和を願う日であることを説明すると、納得した様子でそのまま首里城正殿を前に進み入った。
今年も鎮魂の8月がやってきた。
8月6日8時15分、広島原爆の日を告げるアナウンスとサイレンを告げる防災放送が近くの消防署から流れてきた。わたしは洗濯物を干す手を休めて黙とうをする。長崎原爆投下の8月9日11時にも同じく、遠くからサイレンが響き渡った。
どれだけの地域で放送されているのか分からないが、しばし鎮魂の祈りを捧げる貴重な時間となる。
NHK放送にチャンネルを合わせれば、サイレンを合図で各地の慰霊式典で黙とうを捧げる中継とともにその時間を共有できる。
しかし8月は夏休み期間であるために、とくに子供たちは各家庭や個人で過ごすことになり、放送のない地域だと、知らずとやり過ごしてしまうことが多いかもしれないと改めて感じた。
とくに夏休みに入る前の6月23日の慰霊の日までに、沖縄戦と戦争について徹底的に学ぶ沖縄の環境と、雲泥の差があるのではないかと危惧している。
そこで民放放送でも、ほんの1分でもよいので、黙とうをする時間を設けることで、唯一の被爆国としてこれらの日を位置づけてもよいのではと思う。
わたしの住む名瀬では、沖縄慰霊の日のサイレンは流れない。
奄美大島のすぐ南に位置する徳之島には、6月23日に自決した牛島満中将率いる沖縄守備隊に属していた奄美群島守備隊の本部がかつてあった。そして、同じ米軍統治下時代を味わった奄美群島の人々も、沖縄慰霊の日には、黙とうを捧げる時間をもってもよいと願わずにはいられない。
広島原爆の日と同じ8月6日、沖縄で最大級の米軍による事故伊江島波止場事件を報道で知った。まだまだ知らずに掘り起こせていない足元に残る戦争の傷跡は多い。
平和を願う気持ちは、隣人の痛みに寄りそう気持ちからしか、生まれない。
※伊江島波止場事件→http://www.qab.co.jp/news/2009080511048.html
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2009年08月10日
興南の次は樟南(鹿児島)応援! ~南こうせつ作曲の校歌~
昨日の甲子園。沖縄代表興南高校、残念でしたね。
はじめいい3点をリードしていただけに、さよなら負けは残念でした。
大会初日の出場だったので、初戦敗退は、これまでの甲子園滞在最短記録かもわかりませんね~。
それにしても、あの甲子園に広がる指笛や吹奏楽の演奏は、たまりません。
胸がざわめき、まさにチムワサワサーします。
対戦高の大分明豊高校の校歌が、気になりました。
軍歌調の校歌とは違う、フォーク調のあのテンポとリズム。
南こうせつさんご夫妻の作詞作曲なんですね。
「夢をあきらめないで」
というサビの部分は、よかったです。
大分の知人に訊ねたら、カトリック系の女子高と合併したときに、新たに校歌を作ったそうです。
それでそんな新鮮な曲がうまれたんですね。
ナットク!
明豊校歌「明日への道」が聴けるサイト見つけたので、貼り付けます。
映像で→http://www.youtube.com/watch?v=YlRkQWQMX20
歌詞と楽譜→http://www.d4.dion.ne.jp/~hatate-m/new_page_25.htm
次は、鹿児島樟南(しょうなん)高校の応援です。
与論島と奄美大島名瀬の高校生もいるそうですよ。
プレーボール日は、8月16日(日)13:30。
樟南(鹿児島) - 九州国際大付(福岡)
夏はまだまだ終わりませんよ~。
はじめいい3点をリードしていただけに、さよなら負けは残念でした。
大会初日の出場だったので、初戦敗退は、これまでの甲子園滞在最短記録かもわかりませんね~。
それにしても、あの甲子園に広がる指笛や吹奏楽の演奏は、たまりません。
胸がざわめき、まさにチムワサワサーします。
対戦高の大分明豊高校の校歌が、気になりました。
軍歌調の校歌とは違う、フォーク調のあのテンポとリズム。
南こうせつさんご夫妻の作詞作曲なんですね。
「夢をあきらめないで」
というサビの部分は、よかったです。
大分の知人に訊ねたら、カトリック系の女子高と合併したときに、新たに校歌を作ったそうです。
それでそんな新鮮な曲がうまれたんですね。
ナットク!
明豊校歌「明日への道」が聴けるサイト見つけたので、貼り付けます。
映像で→http://www.youtube.com/watch?v=YlRkQWQMX20
歌詞と楽譜→http://www.d4.dion.ne.jp/~hatate-m/new_page_25.htm
次は、鹿児島樟南(しょうなん)高校の応援です。
与論島と奄美大島名瀬の高校生もいるそうですよ。
プレーボール日は、8月16日(日)13:30。
樟南(鹿児島) - 九州国際大付(福岡)
夏はまだまだ終わりませんよ~。
2009年08月07日
稲刈りとハブそして稲妻
先週のリベンジならぬ、いよいよ稲刈り本番。今年も子ども達の歓声で賑わっている。この時期はいつも夏休みにあたるので、ホストファミリーはじめ、参加者はほとんど皆子どもや孫を連れてやってくる。

テントに荷物を置いて一息ついていると、捕り物騒動の真っ最中。
つがいなのか二匹のハブが頭を赤く染め、息も絶え絶えにもだえ苦しんでいる。腹はぷくーっと膨れあがり、餌を飲み込んだばかりの様子。危険だからと子ども達は田圃からあげられ、しばしハブの観察会に早変わりとなった。
これまでこの田圃でハブが出たのは、開墾以来だという。米を食べに来たネズミを狙ってやってきたんだろう。さぞ今年の米は美味しいに違いない。
刈った稲を干し終わり、海辺でバーベキュー。恒例の食後のスイカ割りの頃には突然の雨に見舞われた。雲が低く立ち込め、今にも竜巻が起こりそうな雲行きだ。
稲光が起こった。
今日のような屋根つきの場所がなければ散々なことになったが、水着同然の服装になりふり構わず、肉やスイカにかぶりつく。
稲光。稲妻。
どれも稲という字がついている。しかも、雷という字は、田圃に雨。
田圃で稲妻が轟くと美味しい米ができるという。稲妻によってもたらされた電気にイオンが発生し、空気中の有用な成分をそこに取り込み、雨となって降らせることも科学的に解明されているそうだ。昔の人はそれを自然に認識していたのだろう。改めて日本の自然の恵みと豊かさに感謝する。
昨年の三分の一しかないという今年の出来高は、米十二俵。ネズミとハブに稲妻と三拍子そろった今年の黒米を早く堪能したいものだ。

※写真左は私、右は沖縄から日本一周で奄美大島を訪れていたシッキーさん。今頃は雲仙を走行中。
テントに荷物を置いて一息ついていると、捕り物騒動の真っ最中。
つがいなのか二匹のハブが頭を赤く染め、息も絶え絶えにもだえ苦しんでいる。腹はぷくーっと膨れあがり、餌を飲み込んだばかりの様子。危険だからと子ども達は田圃からあげられ、しばしハブの観察会に早変わりとなった。
これまでこの田圃でハブが出たのは、開墾以来だという。米を食べに来たネズミを狙ってやってきたんだろう。さぞ今年の米は美味しいに違いない。
刈った稲を干し終わり、海辺でバーベキュー。恒例の食後のスイカ割りの頃には突然の雨に見舞われた。雲が低く立ち込め、今にも竜巻が起こりそうな雲行きだ。
稲光が起こった。
今日のような屋根つきの場所がなければ散々なことになったが、水着同然の服装になりふり構わず、肉やスイカにかぶりつく。
稲光。稲妻。
どれも稲という字がついている。しかも、雷という字は、田圃に雨。
田圃で稲妻が轟くと美味しい米ができるという。稲妻によってもたらされた電気にイオンが発生し、空気中の有用な成分をそこに取り込み、雨となって降らせることも科学的に解明されているそうだ。昔の人はそれを自然に認識していたのだろう。改めて日本の自然の恵みと豊かさに感謝する。
昨年の三分の一しかないという今年の出来高は、米十二俵。ネズミとハブに稲妻と三拍子そろった今年の黒米を早く堪能したいものだ。
※写真左は私、右は沖縄から日本一周で奄美大島を訪れていたシッキーさん。今頃は雲仙を走行中。
タグ :エッセー
2009年08月06日
バケツ稲
実は稲刈りはこの一週間前に予定していた。我が家で育った稲をバケツごと皆さんへお披露目しようと奄美市内にある芦花部(あしけぶ)の田圃へ持って出かけた 。
途中、確認でホストファミリーへ電話を入れたところ実がまだ熟していないのでもう一週間延期したのだという。伝令がまわってこなかったのだ。日食が今週に控えていたこともあって、下見のつもりで龍郷町の米どころ秋名集落まで車を走らせた。
すると、稲の脱穀を済ませ、籾を干している方々がいたので少し覗かせてもらった。車から例のバケツを運びだす。私の奇妙な様子を一部始終を目で追っているのがわかる。
「うん、もう実は入ってるね、あと3,4日すればいいだろうと思うよ」
さすが、米の目利き。
それにしても実の熟さ加減が田圃で地植えの稲とほぼ同じなのに胸を撫でおろす。
「これ自宅の庭で? 太陽は当たるとこ?」
「はい、てぃーだくゎんくゎんさせて育てました」
この日、稲刈りはお預けになったが充分満足な一日だった。
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2009年07月28日
心で観た皆既日食
日食の日が近づくにつれて、その時間になると手を休めて空を見上げるのが日課になった。庭の向日葵までも当日の晴れを願うように重い花弁を向けている。山裾にある自宅で森の様子も聴きながらその時を過ごすのもいいなとも思いつつ、日食当日、夜明けから私は車を走らせていた。家を出る時刻に車はまだ一台ほどしかすれ違わなかったのに、コンビニ付近で先を急ぐ車が増え始めると焦る。混雑しているようであれば、誘いのあった知人の所へ向かおう。そう自分に言い聞かせて龍郷町の埼原ビーチへ車を進めた。
いざ到着してみると、そこには五、六組のグループ連れがゆったりとその時を待っていた。北西の方角に水平線が開けた笠利湾。左には今井権現を抱く今井岬が突き出している。視界には見えないが、龍郷湾がその奥に入りこむ。背後には雑木林。白々と東の空が明るくなってきた。北から海風が強く吹き、どんよりとした厚い雲の流れは早い。
このまま雲を東シナ海へ運んでって。
やっと朝日が昇るも顔を出してくれない。こんな時だけ朝日を拝んで、と叱っているよう。蝉が鳴き、トンボや蝶が舞い始めた。
隣で控えていた男性の二人組が沖縄からの観光客だと、連れの友人だと教えてくれた。キャンセル待ちでやっとの思いでフェリーとレンタカーを押さえ、二泊三日の予定で入ったという。私の実父や妹、友人達は移動便が取れずに諦めたのだが、結局今日という日は、沖縄の人と過ごす日なのかもしれない。男性の一人は祖母が奄美大島宇検村の出身で、ちょうど旧暦六月一日に合わせて昨日墓参りができたそうだ。沖縄では旧暦毎月一日十五日には台所の火の神に拝みをする習慣があるが、奄美大島では仏壇とさらに墓参りを重んじる風習に深く興味を示、今でも墓を管理して下さっていることに大変感謝していた。睡眠不足を解消する小休止の時間はほど良い歓談となった。
食にかかる時間が迫り、カメラを回す。浜辺の人たちはのんびり寝転がり、日食グラスを時折かかげ、空を見上げている。
本当に日食は起こるのだろうか。
人が多いということを除けば、全く普段と変わりない一日だ。雲は相変わらず厚く空を覆ったまま。日食グラスで太陽を見ても、雲が厚くて映らない状態にイラ立ちと不安が交差する。
まあ、これもいつもの奄美大島だけどさ、昨日までのあの晴天を見せてくれないかなぁ。
祈るように空を仰ぐ。絶対晴れる!
九時三十五分。食に入った。気温は三十二度。雲は厚く覆われたまま。雲がフィルターとなって肉眼でも日食が見える。曇りなので照度が落ちているのかほとんどわからない。
十時過ぎ。約五十%欠けた頃、今にもスコールが降りそうな暗さ。蝉の鳴き声がぴたりと止み、トンボが姿を消した。蝶は仏葬花の下へ籠る。
北西方向の空は雨雲がやってくるように暗く重い。厚い雲の向こうの太陽はまだ強い光を放つも、日食グラスで見えない。
皆既に入る十分前。北西の空は一段と暗くなり、西方向の空が夕焼けのように染まり始める。日食焼けと呼んだらよいのか。
黒い空に突き出た岬の燈台に光が灯る。雑木林側にいた人達がぞくぞくと浜辺に降りてくる。日食焼けに映る島影が美しい。黒い空と日食焼けの茜色のコントラストが益々くっきりしてくる。
皆既に入った。
西空の日食焼けとその真上の真っ暗な空の境目は太陽の光を浴びた色でで区切られ、見事なグラデーションを描いている。そこに浮かんで光を受けている筋雲のがさらに細かい陰影を見せている。気温は三十度。少しひんやりしてきた。
完全に闇で包まれた。西空の日食焼けと燈台そして撮影光が闇に浮かぶ。
このまま太陽が顔を見せなかったらどうなるだろう。そんな思いがふとよぎる。日食をただ偶然一人で遭遇してしまったら、そら恐ろしいものに違いない。
暫くすると空が明るくなってきた。北西の黒い雲が東へと流れる。正に月の影だ。雲がスクリーンの役割となって映し出された。月の影がインド方面からやってくるというので北西をのぞむ水平線で待ち構えていた甲斐があった。
国をあげた観測からレジャーへと変遷し、今では婚姻届や婚約まで交わす個人のイベント化した日食観測。その反面、太陽と月の結婚式、太陽が月を喰らう話など様々な神話が語られるこの島で、皆既日食を鑑賞できたことは本当に素晴らしい体験だった。今回姿は見せなかったが、雲の向こうに黒い太陽とダイヤモンドリング、一面の星空を心で観た。二十六年後に再び日本で出会える日まで待てるかどうか心配だ。
タグ :エッセー
2009年07月18日
日食直前


島内は日食ムードに沸いています。
下船した観光客向けに配っているパンフレットを失礼して拝見。
「ハブ注意」を促すパンフレットに、

「カンキツ類の苗の持ち出し禁止」を喚起するパンフレット。
皆さん、注意しましょう!
2009年07月18日
鰹一本釣り弁当

今朝、鹿児島から日帰りで戻りました。
写真は名瀬港に浮かぶ、マルエーフェリーです。
夜明けが早いのでこの明るさです。
日食もあと4日に迫ったこともあり、私の予約番号は1059番。。。
旧盆並みの混み具合か、或いはそれ以上かと不安でしたが、普段の2等席も結構空いてました。
船なら片道8800円のところ、往復割引で15300円。
鹿児島市⇔奄美大島間は夜発朝着のダイヤなので、一日休めば、鹿児島での用事がこなせます。
この春から鹿児島港行きのリムジンバスが鹿児島中央駅前から150円で出るようになったので助かりますが、今頃?って感じもします。

帰りの船で食べようと、鹿児島中央駅で駅弁を物色。
いつものおにぎり屋さんへ行くと、「鰹一本釣り」というネーミングにそそられ、即ゲット。
2009年07月13日
皆既日食まであと9日
皆既日食があと1ケタと迫り、島内も慌ただしくなってきました。
鹿児島や沖縄から奄美大島を経由する船便も、島外からの予約でほぼ満杯になり、地元客へも予約を呼びかける広告記事が出ています。
私も皆既日食の直前に鹿児島へ日帰りで行かなければならないのですが、日食ラッシュに重ならないか気をもんでいます。
さて、一人で過ごす時間が多いので、携帯のアラームはいつも時報にセットしています。
その時間を、日食の平均時間に変えてみました。
食に入る9:35、日食に入る10:55、食がぬけた12:22。
その時間になると決まって日食グラスで太陽を仰ぎながら、当日の晴れを祈ります。
どうか晴れますように!
鹿児島や沖縄から奄美大島を経由する船便も、島外からの予約でほぼ満杯になり、地元客へも予約を呼びかける広告記事が出ています。
私も皆既日食の直前に鹿児島へ日帰りで行かなければならないのですが、日食ラッシュに重ならないか気をもんでいます。
さて、一人で過ごす時間が多いので、携帯のアラームはいつも時報にセットしています。
その時間を、日食の平均時間に変えてみました。
食に入る9:35、日食に入る10:55、食がぬけた12:22。
その時間になると決まって日食グラスで太陽を仰ぎながら、当日の晴れを祈ります。
どうか晴れますように!
2009年07月13日
復帰っ子 那覇市議に初当選 七夕におきなわ星とあまみ星
琉球新報の紙面を開くとふと、なじみのあるお名前に出会いました。
沖縄の復帰っ子と奄美の復帰っ子の会の交流会で初めて、前泊美紀さんにお会いしたのは、奄美復帰50周年にあたる2003年でした。
今年の誕生日でそれぞれ満37歳と56歳になります。
ちなみに私は沖縄復帰前の生まれです。
ふふ、年がばれますね~。
その彼女が今月5日の那覇市議選で初当選したのです。
彼女が奄美大島に来島したときには、ケーブルテレビのキャスターをしていました。
そのキャスター時代に彼女は、政治と若者があまりにもかけ離れすぎていることを痛感し、若者がもっと政治に関心をもってもらうために、毎年復帰記念日の5月15日、島の未来を語り合うシンポジウムを行ってきたそうです。
私はそのシンポジウムに参加したことはないのですが、沖縄の若者が今、生で議論できる場所でどんな声をだすのだろうかと興味深々です。
そして、今日新たに模様替えしたブログのキャッチコピー
「いもーれ アモーレ めんそーれー」
を発言したのは、まぎれもなく、前泊美紀さんだったのです。
あの復帰っ子の会の会場でした。
このタイミングに縁を感じず時にはいられません。
昨日さっそく、当選のお祝い第一声のメッセージを入れました。
沖縄と奄美を結ぶ架け橋になりたいと願うわたしに、ぴったりの言葉をプレゼントしてくれました。
おめでとう!
新しい風が、確実に吹いてきていると感じました。
沖縄の復帰っ子と奄美の復帰っ子の会の交流会で初めて、前泊美紀さんにお会いしたのは、奄美復帰50周年にあたる2003年でした。
今年の誕生日でそれぞれ満37歳と56歳になります。
ちなみに私は沖縄復帰前の生まれです。
ふふ、年がばれますね~。
その彼女が今月5日の那覇市議選で初当選したのです。
彼女が奄美大島に来島したときには、ケーブルテレビのキャスターをしていました。
そのキャスター時代に彼女は、政治と若者があまりにもかけ離れすぎていることを痛感し、若者がもっと政治に関心をもってもらうために、毎年復帰記念日の5月15日、島の未来を語り合うシンポジウムを行ってきたそうです。
私はそのシンポジウムに参加したことはないのですが、沖縄の若者が今、生で議論できる場所でどんな声をだすのだろうかと興味深々です。
そして、今日新たに模様替えしたブログのキャッチコピー
「いもーれ アモーレ めんそーれー」
を発言したのは、まぎれもなく、前泊美紀さんだったのです。
あの復帰っ子の会の会場でした。
このタイミングに縁を感じず時にはいられません。
昨日さっそく、当選のお祝い第一声のメッセージを入れました。
沖縄と奄美を結ぶ架け橋になりたいと願うわたしに、ぴったりの言葉をプレゼントしてくれました。
おめでとう!
新しい風が、確実に吹いてきていると感じました。
2009年07月08日
プロフィール
プロフィールてぃーだブログ新参者です。
沖縄県那覇市から結婚を機に、奄美大島の名瀬(鹿児島県奄美市)移住して今年で9年目になります。
「いもーれ」は「いらっしゃいませ」という奄美大島の方言です。
「めんそーれ」は、同意の沖縄方言です。
奄美と沖縄はよく兄弟島といいますが、住んでみると奄美の知らなかったことに驚き連発。
兄弟島どころか、真逆なことに遭遇したり、興味は尽きません。
島によって電波の状態が違うので、一概にはいえませんが、
与論島、沖永良部島、徳之島、喜界島の人たちは鹿児島のラジオテレビ放送に加えて、
沖縄のそれも耳に目にしています。
奄美大島では、地方自治体や大島支庁、図書館には、沖縄タイムスや琉球新報も置かれています。
毎年、図書館などでチェックしていますが、沖縄タイムスが固定のようです。
でも購読数はほんのわずかです。
沖縄県民の一般心情からして、公共機関なら、今年はタイムス、来年は新報っていう具合に、交互に購読しそうなものですが、分かりませんが、鹿児島県紙が一紙しかない鹿児島県の県民性かもしれないと勝手に思っています。
沖縄の人からみて「奄美はアウェイか」
恐らく、奄美を視野に入れて文化経済活動を実践している人からみてNOかもしれませんが、
一般人はYESというか、意識すらないのが現状なんですね。
400年かけてこの島々が、人々が重ねてきたことの大きさを感じずにはいられません。
行政区分はもちろんのこと、メディアの影響も大きいということを思い知らされました。
そしてこのブログが、少しでも、沖縄と奄美をつなぐ懸け橋になれることを願います。
こちらはプロフィールページですけど、気分を変えて、ちょっとずつ変えていますね。
これまでのブログはこっちです。
↓ ↓ ↓ ↓
http://daisho.exblog.jp/
ゆたしく、うにげーさびら!
沖縄県那覇市から結婚を機に、奄美大島の名瀬(鹿児島県奄美市)移住して今年で9年目になります。
「いもーれ」は「いらっしゃいませ」という奄美大島の方言です。
「めんそーれ」は、同意の沖縄方言です。
奄美と沖縄はよく兄弟島といいますが、住んでみると奄美の知らなかったことに驚き連発。
兄弟島どころか、真逆なことに遭遇したり、興味は尽きません。
島によって電波の状態が違うので、一概にはいえませんが、
与論島、沖永良部島、徳之島、喜界島の人たちは鹿児島のラジオテレビ放送に加えて、
沖縄のそれも耳に目にしています。
奄美大島では、地方自治体や大島支庁、図書館には、沖縄タイムスや琉球新報も置かれています。
毎年、図書館などでチェックしていますが、沖縄タイムスが固定のようです。
でも購読数はほんのわずかです。
沖縄県民の一般心情からして、公共機関なら、今年はタイムス、来年は新報っていう具合に、交互に購読しそうなものですが、分かりませんが、鹿児島県紙が一紙しかない鹿児島県の県民性かもしれないと勝手に思っています。
沖縄の人からみて「奄美はアウェイか」
恐らく、奄美を視野に入れて文化経済活動を実践している人からみてNOかもしれませんが、
一般人はYESというか、意識すらないのが現状なんですね。
400年かけてこの島々が、人々が重ねてきたことの大きさを感じずにはいられません。
行政区分はもちろんのこと、メディアの影響も大きいということを思い知らされました。
そしてこのブログが、少しでも、沖縄と奄美をつなぐ懸け橋になれることを願います。
こちらはプロフィールページですけど、気分を変えて、ちょっとずつ変えていますね。
これまでのブログはこっちです。
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ゆたしく、うにげーさびら!
タグ :人

